| 竜とわれらの時代 |

■恐竜発掘小説 これは、恐竜小説である。しかし、生きている恐竜が大暴れするストーリーではない。丹念な取材に基づき、古生物学的な観点から描かれた恐竜発掘小説である。 古生物だけでなく、どんな世界でもそうだろうが、完成したものを見せつけられるよりは、自分で謎解きを展開していくところに楽しみがある。この書ではその楽しみが伝わってくる。 なによりも面白いのは、多くの恐竜や古生物を愛する人々に接し、その想いを吹き込まれた点であろう。文献や書籍だけからは決してわからない部分があって楽しめる。 ■手取の巨人 物語は手取郡の荘山村で竜脚類の化石を見つけるところから始まる。原始的な竜脚類であるマメンチサウルスとより進化したタイプの竜脚類ティタノサウルスの特徴を併せ持ち、後にテトリティタン(手取の巨人)と名付けられる恐竜である。小田 隆さんにより描かれた表紙の頭骨がそれである。 物語の中では、恐竜化石の発掘やクリーニング、最新のニュースや知見が至るところに散りばめられている。もちろんフィクションなのだが、発見された恐竜化石が、実際に最近中国や日本などで見つかっているものとほぼ同じだけにリアリティがある。登場する地名なども実在する地名に近いだけに、親近感も増してくる。 フィクションだからもっと大胆な発見があっても良かったとも思えるが、あまり奇想天外な発見は現実味が無くなるので難しいところであろう。 ■科学と宗教 どんどん新しい化石が発掘されるのだが、すごいすごい、よかったよかった、で終わる話ではない。人間と恐竜の足跡が同時に出てきたあたりから、科学と宗教の対立が明らかになってくる。 進化を否定する創造論を信じているイスラム原理主義者らは、アメリカ自然史博物館などを破壊する。大きな恐竜は強いアメリカの代表なのだ。自分達は科学的であり、絶対的に正しいのだ・・・原理主義者らは、アメリカのそういう部分に挑戦しているようだ。 これらは、「9.11」、あの米国同時テロに似ているが、これらの発想は「9.11」以前からあったようだ。 ■竜とわれらの時代 米国同時テロ以来、米国とイスラムの二極対立が際立ってきているが、世界には長い年月をかけて醸成された多様な国家や文化がある。もちろん、小さな国もあるのだが、人口や経済的な数字だけでは語れない。遺伝子をさまざまに変化させ進化のトライアルを繰り返している地球上の多様な生物のようだ。 手取層の場合もそうだが、日本で恐竜化石が発見されるのは、山の中とは言っても不思議と人里近くである。アメリカや中国などの人の住まないバッドランド(荒野)とは違うのである。 この物語では、そんな荘山村に代々からテトリティタンの頭骨が祭られていた。竜は恐竜ではないが、恐竜などというものが意識されていなかった時代から、我々の祖先は「竜」という形で、それらを日本文化の中に取り入れてきた。 効率的で便利な大都市に住みながらなぜか満たされない人々と豊かな自然の中でスローフードを楽しむような生活を送る荘山村に住む人々。米国とイスラムの単純な二極対立という考えではなく、我々日本人のこれからのあり方、これこそ、著者の描きたかった「竜とわれらの時代」なのかもしれない。 恐竜をテーマにした小説はまだまだ発展する可能性がある。専門書だけでなく、一般文芸書でこういうジャンルの書がどんどん出てくることを期待したい。 >>分岐分析について |