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野宿第一夜
四月二十日の午后四時頃、例の楢ノ木大学士が「ふん、此の川筋があやしいぞ。たしかにこの川筋があやしいぞ」とひとりぶつぶつ言いながら、からだを深く折り曲げて眼一杯にみひらいて、足もとの砂利をねめまわしながら、兎のようにひょいひょいと、葛丸川の西岸の大きな河原をのぼって行った。
両側はずいぶん嶮しい山だ。大学士はどこまでも溯って行く。けれどもとうとう日も落ちた。その両側の山どもは、一生懸命の大学士などにはお構いなくずんずん黒く暮れて行く。
その上にちょっと顔を出した遠くの雪の山脈は、さびしい銀いろに光り、てのひらの形の黒い雲が、その上を行ったり来たりする。

それから川岸の細い野原に、ちょろちょろ赤い野火が這い、鷹によく似た白い鳥が、鋭く風を切って翔けた。楢ノ木大学士はそんなことには構わない。まだどこまでも川を溯って行こうとする。ところがとうとう夜になった。今はもう河原の石ころも、赤やら黒やらわからない。
「これはいけない。もう夜だ。寝なくちゃなるまい。今夜はずいぶん久しぶりで、愉快な露天に寝るんだな。うまいぞうまいぞ。ところで草へ寝ようかな。
かれ草でそれはたしかにいいけれども、寝ているうちに、野火にやかれちゃ一言もない。
よしよし、この石へ寝よう。まるでね台だ。ふんふん、実に柔らかだ。いい寝台だぞ。」
その石は実際柔らかで、又敷布のように白かった。
そのかわり又学士が、腕をのばして背嚢をぬぎ、肱をまげて外套のまま、ごろりと横になったときは、外套のせなかに白い粉が、まるで一杯についたのだ。
もちろん学士はそれを知らない。又そんなこと知ったとこで、あわてて起きあがる性質でもない。
水がその広い河原の、向う岸近くをごうと流れ、空の桔梗のうすあかりには、山どもがのっきのっきと黒く立つ。

大学士は寝たままそれを眺め、又ひとりごとを言い出した。 「ははあ、あいつらは岩頸だな。岩頸だ、岩頸だ。相違ない。」
そこで大学士はいい気になって、仰向けのまま手を振って、岩頸の講義をはじめ出した。
「諸君、手っ取り早く云うならば、岩頸というのは、地殻から一寸頸を出した太い岩石の棒である。その頸がすなわち一つの山である。ええ。一つの山である。
ふん。どうしてそんな変なものができたというなら、そいつは蓋し簡単だ。ええ、ここに一つの火山がある。熔岩を流す。
その熔岩は地殻の深いところから太い棒になってのぼって来る。火山がだんだん衰えて、その腹の中まで冷えてしまう。熔岩の棒もかたまってしまう。それから火山は永い間に空気や水のために、だんだん崩れる。
とうとう削られてへらされて、しまいには上の方がすっかり無くなって、前のかたまった熔岩の棒だけが、やっと残るというあんばいだ。この棒は大抵頸だけを出して、一つの山になっている。それが岩頸だ。
ははあ、面白いぞ、つまりそのこれは夢の中のもやだ、もや、もや、もや、もや。そこでそのつまり、鼠いろの岩頸だがな、その鼠いろの岩頸が、きちんと並んで、お互に顔を見合せたり、ひとりで空うそぶいたりしているのは、大変おもしろい。ふふん。」
それは実際その通り、向うの黒い四つの峯は、四人兄弟の岩頸で、だんだん地面からせり上って来た。楢ノ木大学士の喜びようはひどいもんだ。

「ははあ、こいつらはラクシャンの四人兄弟だな。よくわかった。ラクシャンの四人兄弟だ。よしよし。」注文通り岩頸は丁度胸までせり出してならんで空に高くそびえた。
一番右は、たしかラクシャン第一子、まっ黒な髪をふり乱し、大きな眼をぎろぎろ空に向け、しきりに口をぱくぱくして何かどなっている様だがその声は少しも聞えなかった。
右から二番目はたしかにラクシャンの第二子だ。長いあごを両手に載せて睡っている。
次はラクシャン第三子、やさしい眼をせわしくまたたき、いちばん左はラクシャンの第四子、末っ子だ。
夢のような黒い瞳をあげて、じっと東の高原を見た。
楢ノ木大学士がもっとよく、四人を見ようと起き上ったら、俄かにラクシャン第一子が、雷のように怒鳴り出した。
「何をぐずぐずしてるんだ。潰してしまえ。灼いてしまえ。こなごなに砕いてしまえ。早くやれっ。」
楢ノ木大学士はびっくりして、大急ぎで又横になり、いびきまでして寝たふりをし、そっと横目で見つづけた。
ところが今のどなり声は、大学士に云ったのでもなかったようだ。なぜならラクシャン第一子は、やっぱり空へ向いたまま、素敵などなりを続けたのだ。
「全体何をぐずぐずしてるんだ。砕いちまえ、砕いちまえ、はね飛ばすんだ。はね飛ばすんだよ。火をどしゃどしゃ噴くんだ。熔岩の用意っ。熔岩、早く。畜生。いつまでぐずぐずしてるんだ。熔岩、用意っ。もう二百万年たってるぞ。灰を降らせろ、灰を降らせろ。なぜ早く支度をしないか。」
しずかなラクシャン第三子が、兄をなだめて斯う云った。
「兄さん。少しおやすみなさい。こんなしずかな夕方じゃありませんか。」兄は構わず又どなる。
「地球を半分ふきとばしちまえ。石と石とを空でぶっつけ合せてぐらぐらする紫のいなびかりを起せ。まっくろな灰の雲からかみなりを鳴らせ。えい、意気地なしども。降らせろ、降らせろ、きらきらの熔岩で海をうずめろ。海から騰る泡で太陽を消せ、生き残りの象から虫けらのはてまで灰を吸わせろ、えい、畜生ども、何をぐずぐずしてるんだ。」
ラクシャンの若い第四子が、微笑って兄をなだめ出す。
「大兄さん、あんまり憤らないで下さいよ。イーハトブさんが向うの空で、又笑っていますよ。」それからこんどは低くつぶやく。「あんな銀の冠を僕もほしいなあ。」ラクシャンの狂暴な第一子も、少ししずまって弟を見る。
「まあいいさ、お前もしっかり支度をして次の憤火にはあのイーハトブの位になれ。十二ヶ月の中の九ヶ月をあの冠で飾れるのだぞ。」
若いラクシャ第四子は、兄のことばは聞きながし、遠い東の雲を被った高原を、星のあかりに透し見て、なつかしそうに呟やいた。
「今夜はヒームカさんは見えないなあ。あのまっ黒な雲のやつは、ほんとうにいやなやつだなあ、今日で四日もヒームカさんや、ヒームカさんのおっかさんをマントの下にかくしてるんだ。僕一つ噴火をやってあいつを吹き飛ばしてやろうかな。」
ラクシャンの第三子が、少し笑って弟に云う。
「大へん怒ってるね。どうかしたのかい。ええ、あの東の雲のやつかい。あいつは今夜は雨をやってるんだ。ヒームカさんも蛇紋石のきものがずぶぬれだろう。」
「兄さん。ヒームカさんはほんとうに美しいね。兄さん。この前ね、僕、ここからかたくりの花を投げてあげたんだよ。ヒームカさんのおっかさんへは白いこぶしの花をあげたんだよ。そしたら西風がね、だまって持って行って呉れたよ。」
「そうかい。ハッハ。まあいいよ。あの雲はあしたの朝はもう霽れてるよ。ヒームカさんがまばゆい新らしい碧いきものを着てお日さまの出るころは、きっと一番さきにお前にあいさつするぜ。そいつはもうきっとなんだ。」
「だけど兄さん。僕、今度は、何の花をあげたらいいだろうね。もう僕のとこには何の花もないんだよ。」
「うん、そいつはね、おれの所にね、桜草があるよ、それをお前にやろう。」「ありがとう、兄さん。」
「やかましい、何をふざけたことを云ってるんだ。」
暴っぽいラクシャンの第一子が、金粉の怒り声を、夜の空高く吹きあげた。
「ヒームカってなんだ。ヒームカって。ヒームカって云うのは、あの向うの女の子の山だろう。よわむしめ。あんなものとつきあうのはよせと何べんもおれが云ったじゃないか。ぜんたいおれたちは火から生れたんだぞ青ざめた水の中で生れたやつらとちがうんだぞ。」
ラクシャンの第四子は、しょげて首を垂れたが、しずかな直かの兄が弟のために長兄をなだめた。
「兄さん。ヒームカさんは血統はいいのですよ。火から生れたのですよ。立派なカンランガンですよ。」
ラクシャンの第一子は、尚更怒って立派な金粉のどなりを、まるで火のようにあげた。
「知ってるよ。ヒームカはカンランガンさ。火から生れたさ。それはいいよ。けれどもそんなら、一体いつ、おれたちのようにめざましい噴火をやったんだ。あいつは地面まで騰って来る途中で、もう疲れてやめてしまったんだ。
今こそ地殻ののろのろのぼりや風や空気のおかげで、おれたちと肩をならべているが、元来おれたちとはまるで生れ付きがちがうんだ。きさまたちには、まだおれたちの仕事がよくわからないのだ。
おれたちの仕事はな、地殻の底の底で、とけてとけて、まるでへたへたになった岩漿や、上から押しつけられて古綿のようにちぢまった蒸気やらを取って来て、いざという瞬間には大きな黒い山の塊を、まるで粉々に引き裂いて飛び出す。煙と火とを固めて空に抛げつける。石と石とをぶっつけ合せていなずまを起す。百万の雷を集めて、地面をぐらぐら云わせてやる。丁度、楢ノ木大学士というものが、おれのどなりをひょっと聞いて、びっくりして頭をふらふら、ゆすぶったようにだ。ハッハッハ。
山も海もみんな濃い灰に埋まってしまう。平らな運動場のようになってしまう。その熱い灰の上でばかり、おれたちの魂は舞踏していい。いいか。もうみんな大さわぎだ。さて、その煙が納まって空気が奇麗に澄んだときは、こっちはどうだ、いつかまるで空へ届くくらい高くなって、まるでそんなこともあったかというような顔をして、銀か白金かの冠ぐらいをかぶって、きちんとすましているのだぞ。」
ラクシャンの第三子は、しばらく考えて云う。
「兄さん、私はどうも、そんなことはきらいです。私はそんな、まわりを熱い灰でうずめて、自分だけ一人高くなるようなそんなことはしたくありません。水や空気がいつでも地面を平らにしようとしているでしょう。そして自分でもいつでも低い方低い方と流れて行くでしょう、私はあなたのやり方よりは、却ってあの方がほんとうだと思います。」
暴っぽいラクシャン第一子が、このときまるできらきら笑った。
きらきら光って笑ったのだ。(こんな不思議な笑いようをいままでおれは見たことがない、愕くべきだ、立派なもんだ。)
楢ノ木学士が考えた。
暴っぽいラクシャンの第一子が、ずいぶんしばらく光ってからやっとしずまって斯う云った。
「水と空気かい。あいつらは朝から晩まで、俺らの耳のそば迄来て、世界の平和の為に、お前らの傲慢を削るとかなんとか云いながら、毎日こそこそ、俺らを擦って耗して行くが、まるっきりうそさ。
何でもおれのきくとこに依ると、あいつらは海岸のふくふくした黒土や、美しい緑いろの野原に行って知らん顔をして溝を掘るやら、濠をこさえるやら、それはどうも実にひどいもんだそうだ。話にも何にもならんというこった。」
ラクシャンの第三子も、つい大声で笑ってしまう。
「兄さん。なんだか、そんな、こじつけみたいな、あてこすりみたいな、芝居のせりふのようなものは、一向あなたに似合いませんよ。」
ところがラクシャン第一子は、案外に怒り出しもしなかった。きらきら光って大声で、笑って笑って笑ってしまった。
その笑い声の洪水は、空を流れて遥かに遥かに南へ行って、ねぼけた雷のようにとどろいた。
「うん、そうだ、もうあまり、おれたちのがらにもない小理窟は止そう。おれたちのお父さんにすまない。お父さんは九つの氷河を持っていらしゃったそうだ。そのころは、ここらは、一面の雪と氷で白熊や雪狐や、いろいろなけものが居たそうだ。お父さんはおれが生れるときなくなられたのだ。」
俄かにラクシャンの末子が叫ぶ。、「火が燃えている。火が燃えている。大兄さん。大兄さん。ごらんなさい。だんだん拡がります。」
ラクシャン第一子がびっくりして叫ぶ。
「熔岩、用意っ。灰をふらせろ、えい、畜生、何だ、野火か。」
その声にラクシャンの第二子が、びっくりして眼をさまし、その長い顎をあげて、眼を釘ずけにされたようにしばらく野火をみつめている。
「誰かやったのか。誰だ、誰だ、今ごろ。なんだ野火か。地面の埃をさらさらさらっと掃除する、てまえなんぞに用はない。」
するとラクシャンの第一子が、ちょっと意地悪そうにわらい、手をばたばたと振って見せて「石だ、火だ。熔岩だ。用意っ。ふん。」と叫ぶ。
ばかなラクシャンの第二子が、すぐ釣り込まれてあわて出し、顔いろをぽっとほてらせながら、「おい兄貴、一吠えしようか。」と斯う云うた。
兄貴はわらう、「一吠えってもう何十万年を、きさまはぐうぐう寝ていたのだ。それでもいくらかまだ力が残っているのか」
無精な弟は只一言「ない」と答えた。そして又長い顎をうでに載せ、ぽっかりぽっかり寝てしまう。
しずかなラクシャン第三子がラクシャンの第四子に云う「空が大へん軽くなったネ、あしたの朝はきっと晴れるよ。」
「ええ今夜は鷹が出ませんね」兄は笑って弟を試す。
「さっきの野火で鷹の子供が焼けたのかな。」弟は賢く答えた。
「鷹の子供は、もう余程、毛も剛くなりました。それに仲々強いから、きっと焼けないで遁げたでしょう」兄は心持よく笑う。
「そんなら結構だ、さあもう兄さんたちはよくおやすみだ。楢ノ木大学士と云うやつもよく睡っている。さっきから僕らの夢を見ているんだぜ。」
するとラクシャン第四子がずるそうに一寸笑ってこう云った。「そんなら僕一つおどかしてやろう。」
兄のラクシャン第三子が「よせよせいたずらするなよ」と止めたがいたずらの弟はそれを聞かずに光る大きな長い舌を出して大学士の額をべろりと嘗めた。
大学士はひどくびっくりしてそれでも笑いながら眼をさまし寒さにがたっと顫えたのだ。
いつか空がすっかり晴れてまるで一面星が瞬きまっ黒な四つの岩頸がただしくもとの形になりじっとならんで立っていた。
・・・ つづく 
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