楢ノ木大学士の野宿 3/5

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                   野宿第二夜

 わが親愛な楢ノ木大学士は、例の長い外套を着て、夕陽をせ中に一杯浴びてすっかりくたびれたらしく、度々空気に噛みつくような大きな欠伸をやりながら、平らな熊出街道をすたすた歩いて行ったのだ。

 俄かに道の右側に、がらんとした大きな石切場が口をあいてひらけて来た。

 学士は咽喉をこくっと鳴らし、中に入って行きながら、三角の石かけを一つ拾い「ふん、ここも角閃花崗岩」とつぶやきながらつくづくと、あたりを見れば石切場、石切りたちも帰ったらしく、小さな笹の小屋が一つ淋しく隅にあるだけだ。

 「こいつはうまい。丁度いい。どうもひとのうちの門口に立って、もしもし今晩は、私は旅の者ですが、日が暮れてひどく困っています。今夜一晩泊めて下さい。たべ物は持っていますから支度はなんにも要りませんなんて、へっ、こんなこと云うのは、もう考えてもいやになる。そこで今夜はここへ泊ろう。」大学士は大きな近眼鏡をちょっと直してにやにや笑い、小屋へ入って行ったのだ。

                          

 土間には四つの石かけが炉の役目をし、その横には榾もいくらか積んである。

 大学士はマッチをすって火をたき、それからビスケットを出し、もそもそ喰べたり手帳に何か書きつけたり、しばらくの間していたが、おしまいに火をどんどん燃してごろりと藁にねころんだ。

 夜中になって大学士は、「うう寒い」と云いながら、ばたりとはね起きて見たら、もうたきぎが燃え尽きて、ただのおきだけになっていた。学士はいそいでたきぎを入れる。火は赤く愉快に燃え出し、大学士は胸をひろげてつくづくとよく暖る。それから一寸外へ出た。

 二十日の月は凍にかかり、空気は水より冷たかった、学士はしばらく足踏みをし、それからたばこを一本くわえマッチをすって、「ふん、実にしずかだ、夜あけまでまだ三時間半あるな。」

 つぶやきながら小屋に入った。ぼんやりたき火をながめながら、わらの上に横になり手を頭の上で組み、うとうとうとうとした。

                       

 突然頭の下のあたりで、小さな声で物を云い合ってるのが聞えた。

 「そんなに肱を張らないでお呉れ。おれの横の腹に病気が起るじゃないか。」

 「おや、変なことを云うね、一体いつ僕が肱を張ったね」

 「そんなに張っているじゃないか、ほんとうにお前この頃湿気を吸ったせいかひどくのさばり出して来たね」

 「おやそれは私のことだろうか。お前のことじゃなかろうかね、お前もこの頃は頭でみりみり私を押しつけ様とするよ。」

 大学士は眼を大きく開き、起き上ってその辺を見まわしたが、誰れも居らない様だった。声はだんだん高くなる。

 「何がひどいんだよ。お前こそこの頃はすこしばかり風を呑んだせいか、まるで人が変ったように意地悪になったね。」

 「はてね、少しぐらい僕が手足をのばしたってそれをとやこうお前が云うのかい。十万二千年昔のことを考えてごらん。」

 「十万何千年前とかがどうしたの。もっと前のことさ、十万百万千万年、千五百の万年の前のあの時をお前は忘れてしまっているのかい。まさか忘れはしないだろうがね。忘れなかったら今になって、僕の横腹を肱で押すなんて出来た義理かい。」

 大学士はこの語を聞いてすっかり愕ろいてしまう。

 「どうも実に記憶のいいやつらだ。ええ、千五百の万年の前のその時をお前は忘れてしまっているのかい。まさか忘れはしないだろうがね、ええ。これはどうも実に恐れ入ったね、いったい誰だ。変に頭のいいやつは。」

 大学士は又そろそろと起きあがり、あたりをさがすが何もない。声はいよいよ高くなる。

 「それはたしかに、あなたは僕の先輩さ。けれどもそれがどうしたの。」

 「どうしたのじゃないじゃないか。僕がやっと体骼と人格を完成してほっと息をついてるとお前がすぐ僕の足もとでどんな声をしたと思うね。こんな工合さ。もし、ホンブレンさま、ここの所で私もちっとばかり延びたいと思いまする。どうかあなたさまのおみあしさきにでも一寸取りつかせて下さいませ。まあこう云うお前のことばだったよ。」

 楢ノ木学士は手を叩く。

 「ははあ、わかった。ホンブレンさまと、一人はホルンブレンドだ。すると相手は誰だろう。わからんなあ。けれども、ふふん、こいつは面白い。いよいよ今日も問答がはじまった。しめ、しめ、これだから野宿はやめられん。」

 大学士は煙草を新らしく、一本出してマッチをする。声はいよいよ高くなる。もっともいくら高くても、せいぜい蚊の軍歌ぐらいだ。

 「それはたしかにその通りさ、けれどもそれに対してお前は何と答えたね。いいえ、そいつは困ります、どうかほかのお方とご相談下さいと斯んなに立派にはねつけたろう。」

 「おや、とにかくさ。それでもお前はかまわず僕の足さきにとりついたんだよ。まあ、そんなこと出来たもんだろうかね。もっとも誰かさんは出来たようさ。」

 「あてこするない。とりついたんじゃないよ。お前の足が僕の体骼の頭のとこにあったんだよ。僕はお前よりももっと前に生れたジッコさんを頼んだんだよ。今だって僕はジッコさんは大事に大事にしてあげてるんだ。」

 大学士はよろこんで笑い出す。

 「はっはっは、ジッコさんというのは磁鉄鉱だね、もうわかったさ、喧嘩の相手はバイオタイトだ。して見るとなんでもこの辺にさっきの花崗岩のかけらがあるね、そいつの中の鉱物がかやかや物を云ってるんだね。」

 なるほど大学士の頭の下に、支那の六銭銀貨のくらいのみかげのかけらが落ちていた。学士はいよいよにこにこする。

 「そうかい。そんならいいよ。お前のような恩知らずは早く粘土になっちまえ。」

 「おや、呪いをかけたね。僕も引っ込んじゃいないよ。さあ、お前のような、」

 「一寸お待ちなさい。あなた方は一体何をさっきから喧嘩してるんですか。」

 新らしい二人の声が、一諸にはっきり聞え出す。

 「オーソクレさん。かまわないで下さい。あんまりこいつがわからないもんですからね。」

 「双子さん。どうかかまわないで下さい。あんまりこいつが恩知らずなもんですからね。」

 「ははあ、双晶のオーソクレースが仲裁に入った。これは実におもしろい。」

 大学士はたきびに手をあぶり、顔中口にしてよろこんで云う。二つの声が又聞える。

 「まあ、静かになさい。僕たちは実に実に長い間堅く堅く結び合ってあのまっくらなまっくらなとこで一諸にまわりからのはげしい圧迫やすてきな強い熱にこらえて来たではありませんか。一時はあまりの熱と力にみんな一諸に気違いにでもなりそうなのをじっとこらえて来たではありませんか。」

 「そうです、それは全くその通りです。けれども苦しい間は人をたのんで楽になると人をそねむのはぜんたいいい事なんでしょうか。」

 「何だって。」

 「ちょっと、ちょっと、ちょっとお待ちなさい。ね。そして今やっとお日さまを見たでしょう。そのお日さまも僕たちが前に土の底でコングロメレートから聞いたとは大へんなちがいではありませんか。」

 「ええ、それはもうちがってます。コングロメレートのはなしではお日さまはまっかで空は茶いろなもんだと云っていましたが今見るとお日さまはまっ白で空はまっ青です。あの人はうそつきでしたね。」

 双子の声が又聞えた。

 「さあ、しかしあのコングロメレートという方は前にただの砂利だったころはほんとうに空が茶いろだったかも知れませんね。」

 「そうでしょうか。とにかくうそをつくこととひとの恩を仇でかえすのとはどっちも悪いことですね。」

 「何だと、僕のことを云ってるのかい。よしさあ、僕も覚悟があるぞ。決闘をしろ、決闘を。」
 「まあ。お待ちなさい。ね、あのお日さまを見たときのうれしかったこと。どんなに僕らは叫んだでしょう。千五百万年光というものを知らなかったんだもの。あの時鋼の槌がギギンギギンと僕らの頭にひびいて来ましたね。
 遠くの方で誰かが、ああお前たちもとうとうお日さまの下へ出るよと叫んでいた、もう僕たちの誰と誰とが一諸になって誰と誰とがわかれなければならないか。一向判らなかったんですね。さよならさよならってみんな叫びましたねえ。そしたら急にパッと明るくなって僕たちは空へ飛びあがりましたねえ。あの時僕はお日さまの外に何か赤い光るものを見たように思うんですよ。」

 「それは僕も見たよ。」

 「僕も見たんだよ、何だったろうね、あれは。」

 大学士は又笑う。

 「それはね、明らかにたがねのさきから出た火花だよ。パチッて云ったろう。そして熱かったろう。」

 ところが学士の声などは、鉱物どもに聞えない。

 「そんなら僕たちはこれからさきどうなるでしょう。」

                          

 双子の声が又聞えた。

 「さあ、あんまりこれから愉快なことでもないようですよ。僕が前にコングロメレートから聞きましたがどうも僕らはこのまま又土の中にうずもれるかそうでなければ砂か粘土かにわかれてしまうだけなようですよ。
 この小屋の中に居たって安心にもなりません。内に居たって外に居たってたかが二千年もたって見れば結局おんなじことでしょう。」

 大学士はすっかりおどろいてしまう。

 「実にどうも達観してるね。この小屋の中に居たって外に居たってたかが二千年も経って見れば粘土か砂のつぶになる、実にどうも達観してる。」

 その時俄かにピチピチ鳴り、それからバイオタが泣き出した。

 「ああ、いた、いた、いた、いた、痛ぁい、いたい。」

 「バイオタさん。どうしたの、どうしたの。」

 「早くプラジョさんをよばないとだめだ。」

 「ははあ、プラジョさんというのはプラヂオクレースで青白いから医者なんだな。」 大学士はつぶやいて耳をすます。

 「プラジョさん、プラジョさん。プラジョさん。」

 「はあい。」

 「バイオタさんがひどくおなかが痛がってます。どうか早く診て下さい。」

 「はあい、なあにべつだん心配はありません。かぜを引いたのでしょう。」

 「ははあ、こいつらは風を引くと腹が痛くなる。それがつまり風化だな。」

 大学士は眼鏡をはずし、半巾で拭いて呟やく。

 「プラジョさん。お早くどうか願います。只今気絶をいたしました。」

 「はぁい。いまだんだんそっちを向きますから。ようっと。はい、はい。これは、なるほど。ふふん。一寸脈をお見せ、はい。こんどはお舌、ははあ、よろしい。そして第十八へきかい予備面が痛いと。なるほど、ふんふん、いやわかりました。どうもこの病気は恐いですよ。それにお前さんのからだは大地の底に居たときから慢性りょくでい病にかかって大分軟化してますからね、どうも恢復の見込がありません。」

 病人はキシキシと泣く。

 「お医者さん。私の病気は何でしょう。いつごろ私は死にましょう。」

 「さよう、病人が病名を知らなくてもいいのですがまあ蛭石病の初期ですね、所謂ふう病の中の一つ。俗にかぜは万病のもとと云いますがね。それから、ええと、も一つのご質問はあなたの命でしたかね。さよう、まあ長くても一万年は持ちません。お気の毒ですが一万年は持ちません。」

 「あああ、さっきのホンブレンのやつの呪いが利いたんだ。」

 「いや、いや。そんなことはない。けだし、風病にかかって土になることはけだしすべて吾人に免かれないことですから。けだし。」

 「ああ、プラジョさん。どんな手あてをいたしたらよろしゅうございましょうか。」

 「さあ、そう云う工合に泣いているのは一番よろしくありません。からだをねじってあちこちのへきかいよび面にすきまをつくるのはなおさら、よろしくありません。その他風にあたれば病気のしょうけつを来します。日にあたれば病勢がつのります。霜にあたれば病勢が進みます。露にあたれば病状がこう進します。雪にあたれば症状が悪変します。じっとしているのはなおさらよろしくありません。
 それよりは、その、精神的に眼をつむって観念するのがいいでしょう、わがこの恐れるところの死なるものは、そもそも何であるか、その本質はいかん、生死巌頭に立って、おかしいぞ、はてな、おかしい、はて、これはいかん、あいた、いた、いた、いた、いた、」

 「プラジョさん、プラジョさん、しっかりなさい。一体どうなすったのです。」

 「うむ、私も、うむ、風病のうち、うむ、うむ。」

 「苦しいでしょう、これはほんとうにお気の毒なことになりました。」

 「うむ、うむ、いいえ、苦しくありません。うむ。」

 「何かお手あていたしましょう。」

 「うむ、うむ、実はわたくしも地面の底から、うむ、うむ、大分カオリン病にかかっていた、うむ、オーソクレさん、オーソクレさん。うむ、今こそあなたにも明します。あなたも丁度わたし同様の病気です。うむ。」

 「ああ、やっぱりさようでございましたか。全く、全く、全く、実に、実に、あいた、いた、いた、いた。」

 そこでホンブレンドの声がした。

 「ずいぶん神経過敏な人だ。すると病気でないものは僕とクォーツさんだけだ。」

 「うむ、うむ、そのホンブレンもバイオタと同病。」

 「あ、いた、いた、いた。」

 「おや、おや、どなたもずいぶん弱い。健康なのは僕一人。」

 「うむ、うむ、そのクォーツさんもお気の毒ですがクウショウ中の瓦斯が病因です。うむ。」

 「あいた、いた、いた、いた。た。」

 「ずいぶんひどい医者だ。漢法の藪医だな。とうとうみんな風化かな。」

 大学士は又新らしく、たばこをくわいてにやにやする。耳の下では鉱物どもが声をそろえて叫んでいた。

 「あ、いた、いた、いた、いた、た、たた。」

 みんなの声はだんだん低く、とうとうしんとしてしまう。

 「はてな、みんな死んだのか。あるいは僕だけ聞えなくなったのか。」

 大学士はみかげのかけらを手にとりあげてつくづく見て、パチッと向うの隅へ弾く。それから榾を一本くべた。

 その時はもうあけ方で、大学士は背嚢から巻煙草を二包み出して榾のお礼の藁に置き、背嚢をしょい小屋を出た。

石切場の壁はすっかり白く、その西側の面だけに月のあかりがうつっていた。



                                  ・・・ つづく 






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