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野宿第三夜
(どうも少し引き受けようが軽卒だったな。グリーンランドの成金がびっくりする程立派な蛋白石などを、二週間でさがしてやろうなんてのは、実際少し軽卒だった。
どうも斯う人の居ない海岸などへ来て、つくづく夕方歩いていると東京のまちのまん中で鼻の赤い連中などを相手にして、いい加減の法螺を吹いたことが全く情けなくなっちまう。
どうだ、この頁岩の陰気なこと。全くいやになっちまうな。おまけに海も暗くなったし、なかなか、流紋玻璃にも出っ会わさない。
それに今夜もやっぱり野宿だ。野宿も二晩ぐらいはいいが、三晩となっちゃうんざりするな。けれども、まあ、仕方もないさ。ビスケットのあるうちは、歩いて野宿して、面白い夢でも見る分が得というもんだ。)

例の楢ノ木大学士が、衣嚢に両手を突っ込んで、少しせ中を高くして、つくづく考え込みながら、もう夕方の鼠いろの頁岩の波に洗われる海岸を大股に歩いていた。
全く海は暗くなり、そのほのじろい波がしらだけ一列、何かけもののように見えたのだ。
いよいよ今日は歩いてもだめだと学士はあきらめて、ぴたっと岩に立ちどまり、しばらく黒い海面と、向うに浮ぶ腐った馬鈴薯のような雲を眺めていたが、又ポケットから
煙草を出して火をつけた。
それからくるっと振り向いて、陸の方をじっと見定めて、急いでそっちへ歩いて行った。そこには低い崖があり、崖の脚には多分は濤で削られたらしい小さな洞があったのだ。
大学士はにこにこして、中へはいって背嚢をとる。それからまっくらなとこで、もしゃもしゃビスケットを喰べた。
ずうっと向うで一列濤が鳴るばかり。
「ははあ、どうだ、いよいよ宿がきまって腹もできると野宿もそんなに悪くない。さあ、もう一服やって寝よう。あしたはきっとうまく行く。その夢を今夜見るのも悪くない。」
大学士の吸う巻煙草が、ポツンと赤く見えるだけ、 「斯う納まって見ると、我輩もさながら、洞熊か、洞窟住人だ。ところでもう寝よう。
闇の向うで、濤がぼとぼと鳴るばかり、鳥も啼かなきゃ洞をのぞきに人も来ず、と。ふん、斯んなあんばいか。寝ろ、寝ろ。」大学士はすぐとろとろする、疲れて睡れば夢も見ない

いつかすっかり夜が明けて、昨夜の続きの頁岩が青白くぼんやり光っていた。大学士はまるでびっくりして、急いで洞を飛び出した。あわてて帽子を落しそうになり、それを押えさえもした。
「すっかり寝過ごしちゃった。ところでおれは一体何のために歩いているんだったかな。ええと、よく思い出せないぞ。たしかに昨日も一昨日も人の居ない処をせっせと歩いていたんだが。
いや、もっと前から歩いていたぞ。もう一年も歩いているぞ。その目的はと、はてな、忘れたぞ。こいつはいけない。目的がなくて学者が旅行をするということはない、必ず目的があるのだ。
化石じゃなかったかな。ええと、どうか第三紀の人類に就いてお調べを願います、と、誰か云ったようだ。
いいや、そうじゃない、白堊紀の巨きな爬虫類の骨骼を博物館の方から頼まれてあるんですがいかがでございましょう、一つお探しを願われますまいかと、斯うじゃなかったかな。
斯うだ、斯うだ、ちがいない。さあ、ところでここは白堊系の頁岩だ。もうここでおれは探し出すつもりだったんだ。
なるほど、はじめてはっきりしたぞ。さあ探せ、恐竜の骨骼だ。恐竜の骨骼だ。」学士の影は黒く頁岩の上に落ち大股に歩いていたから踊っているように見えた。
海はもの凄いほど青く、空はそれより又青く、幾きれかのちぎれた雲がまばゆくそこに浮いていた。
「おや出たぞ。」楢ノ木大学士が叫び出した。その灰いろの頁岩の平らな奇麗な層面に、直径が一米ばかりある五本指の足あとが深く喰い込んでならんでいる。所々上の岩のためにかくれているが足裏の皺まではっきりわかるのだ。
「さあ、見附けたぞ、この足跡の尽きた所には、きっとこいつが倒れたまま化石している。
巨きな骨だぞ。まず背骨なら二十米はあるだろう。巨きなもんだぞ。」
大学士はまるで雀躍して、その足あとをつけて行く。足跡はずいぶん続き、どこまで行くかわからない。それに太陽の光線は赭く、たいへん足が疲れたのだ。

どうもおかしいと思いながら、ふと気がついて立ちどまったら、なんだか足が柔らかな泥に吸われているようだ。堅い頁岩の筈だったと思って、楢ノ木大学士はうしろを向いた。そしたら全く愕いた。
さっきから一心に跡けて来た巨きな、蟇の形の足あとは、なるほどずうっと大学士の足もとまでつづいていてそれから先ももっと続くらしかったが、も一つ、どうだ、大学士の銀座でこさえた長靴のあともぞろっとついていた。
「こいつはひどい。我輩の足跡までこんなに深く入るというのは実際少し恐れ入った。けれどもそれでも探求の目的を達することは達するな。少し歩きにくいだけだ。さあもう斯うなったらどこまでだって追って行くぞ。」学士はいよいよ大股に、その足跡をつけて行った。
どかどか鳴るものは心臓、ふいごのようなものは呼吸、そんなに一生けん命だったが、又そんなにあたりもしずかだった。
大学士はふと波打ぎわを見た。濤がすっかりしずまっていた。たしかにさっきまで寄せて吠えて砕けていた濤が、いつかすっかりしずまっていた。
「こいつは変だ。おまけにずいぶん暑いじゃないか。」
大学士はあおむいて空を見る。太陽はまるで熟した苹果のようで、そこらも無暗に赤かった。
「ずいぶんいやな天気になった。それにしてもこの太陽はあんまり赤い。きっとどこかの火山が爆発をやった。その細かな火山灰が正しく上層の気流に混じて地球を包囲しているな。
けれどもそれだからと云って我輩のこの追跡には害にならない。もうこの足あとの終るところにあの途方もない爬虫の骨がころがってるんだ。我輩はその地点を記録する。もう一足だぞ。」

大学士はいよいよ勢こんで、その足跡をつけて行く。ところが間もなく泥浜は、岬のように突き出した。
「さあ、ここを一つ曲って見ろ。すぐ向う側にその骨がある。けれども事によったらすぐ無いかも知れない。すぐなかったらも少し追って行けばいい。それだけのことだ。」
大学士はにこにこ笑い、立ちどまって巻煙草を出し、マッチを擦って煙を吐く。それからわざと顔をしかめ、ごくおうように大股に岬をまわって行ったのだ。
ところがどうだ名高い楢ノ木大学士が、釘付けにされたように立ちどまった。その眼は空しく大きく開き、その膝は堅くなってやがてふるえ出し、煙草もいつか泥に落ちた。

青ぞらの下、向うの泥の浜の上に、その足跡の持ち主の途方もない途方もない雷竜氏が、いやに細長い頸をのばし、汀の水を呑んでいる。
長さ十間、ざらざらの鼠いろの皮の雷竜が、短い太い足をちぢめ、厭らしい長い頸をのたのたさせ、小さな赤い眼を光らせ、チュウチュウ水を呑んでいる。
あまりのことに楢ノ木大学士は、頭がしいんとなってしまった。
「一体これはどうしたのだ。中生代に来てしまったのか。中生代がこっちの方へやって来たのか。ああ、どっちでもおんなじことだ。とにかくあそこに雷竜が居て、こっちさえ見ればかけて来る。大学士も魚も同じことだ。
見るなよ、見るなよ。僕はいま、ごくこっそりと戻るから。どうかしばらく、こっちを向いちゃいけないよ。」いまや楢ノ木大学士は、そろりそろりと後退りして、来た方へ遁げて戻る。
その眼はじっと雷竜を見、その手はそっと空気を押す。
そして雷竜の太い尾が、まず見えなくなりその次に、山のような胴がかくれ、おしまい黒い舌を出して、びちょびちょ水を呑んでいる蛇に似たその頭がかくれると、大学士はまず助かったと、いきなり来た方へ向いた。
その足跡さえずんずんたどって、遁げてさえ行くならもう直きに、汀に濤も打って来るし、空も赤くはなくなるし、足あとももう泥に食い込まない堅い頁岩の上を行く。
崖にはゆうべの洞もある、そこまで行けばもう大丈夫、こんなあぶない探検などは、今度かぎりでやめてしまい、博物館へも断わらせて、東京のまちのまん中で、赤い鼻の連中などを相手に法螺を吹いてればいい。大体こんな計算だった。それもまるきり電のような計算だ。
ところが楢ノ木大学士は、も一度ぎくっと立ちどまった。その膝はもうがたがたと鳴り出した。
見たまえ、学士の来た方の、泥の岸はまるでいちめんうじゃうじゃの雷竜どもなのだ。まっ黒なほど居ったのだ。長い頸を天に延ばすやつ、頸をゆっくり上下に振るやつ、急いで水にかけ込むやつ、実にまるでうじゃうじゃだった。

「もういけない。すっかりうまくやられちゃった。いよいよおれも食われるだけだ。大学士の号も一所になくなる。雷竜はあんまりひどい。
前にも居るしうしろにも居る。まあただ一つたよりになるのはこの岬の上だけだ。そこに登っておれは助かるか助からないか。事によったら新生代の沖積世が急いで助けに来るかも知れない。さあ、もうたったこの岬だけだぞ。」
学士はそっと岬にのぼる。
まるで蕈とあすなろとの、合の子みたいな変な木が、崖にもじゃもじゃ生えていた。そして本統に幸なことは、そこには雷竜が居なかった。
けれども折角登っても、そこらの景色はあんまりいいというでもない、岬の右も左の方も泥の渚は、もう一めんの雷竜だらけ、実にいもじゃもじゃしていたのだ。
水の中でも黒い白鳥のように頭をもたげて泳いだり、頸をくるっとまわしたり、その厭らしいこと恐いこと、大学士はもう眼をつぶった。
ところがいつか大学士は、自分の鼻さきがふっふっ鳴って暖いのに気がついた。「とうとう来たぞ、喰われるぞ。」大学士は観念をして眼をあいた。
大さ二尺の四っ角なまっ黒な雷竜の顔が、すぐ眼の前までにゅうと突き出され、その眼は赤く熟したよう。
その頸は途方もない向うの鼠いろのがさがさした胴まで、まるで管のように続いていた。

大学士はカーンと鳴った。もう喰われたのだ、いやさめたのだ。
眼がさめたのだ、洞穴はまだまっ暗で恐らくは十二時にもならないらしかった。そこで楢ノ木大学士は、一つ小さなせきばらいをし、まだ雷竜が居るようなので、つくづく闇をすかして見る。
外ではたしかに濤の音、「なあんだ。馬鹿にしてやがる。もう睡れんぞ。寒いなあ。」又たばこを出す。火をつける。
・・・ つづく 
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